ヌード写真を掲載し始めて約2年、当サイトには既に1000枚以上の写真が掲載されている。
 ヌード写真を掲載しているサイトの管理者が人並みに薀蓄(うんちく)をたれるつもりはない。ただ「何故今ヌード写真を掲載しているのか?」だけは知って頂きたい。
 社会はインターネットに規制をかける方向に進んでいる。インターネットが犯罪を助長しているという理由からだ。確かにインターネットは顔の見えないコミュニケーションだから当然危険もあるだろう?ただ、それはインターネットを規制すれば済むという単純な問題ではない。
 何故ならそれは利用する者のモラルに関わる問題だからだ。これだけ警察の力が強くなっても犯罪がなくならないのと同じことだ。極論だが警察など一切排除して自分の身は自分で守ることにしたらどうだろう?それでも犯罪は増え続けるだろうか?

 

 犯罪は人間の弱さの裏返しである。嘗て犯罪の動機の大半は貧困と餓えであった。そして、今は飽食がもたらした餓えである。まさに中世ヨーロッパの貴族の崩壊を思わせる様相になりつつある。
 興味のある方はマルキ・ド・サド(サド侯爵)の書物でも紐解いて見るといい。飽食の果ての頽廃がよく分かる。
 インターネットの世界も例外ではない。自殺をほのめかす掲示板。誰彼なしに自己主張を繰り返すプロフ。淋しい現代人のこころの隙間を狙う本当に痛ましい光景ばかりだ。
 逆に一昔前は賑やかだったヌード写真がインターネット上から姿を消し始めている。まあ、それなりに探そうとすれば探せないことはないのだが、インターネットの表舞台からはひっそりと身を引いてしまっているようだ。
 写真に取って代わっているのが動画サイト。誰もが静止画像より動画を求める。インターネットの回線速度が飛躍的に向上したしたことも後押ししている。
 しかし、映像は人の想像力を枯渇させる。映像は人の思考力を停止させる。数枚の写真を前にして懸命に想像力を働かせていた学生時代が懐かしく思い出される。
 今は写真を見ながらマスターベーションもできないだろう。想像力の欠如がもたらすもの、それが今の忌まわしい事件や犯罪だと私は考えている。
 ちょっと想像力を働かせれば人の痛みや苦しみが分かるはずだ。それができないから平気で人を傷つけられる。彼らに分かるのは自分の苦しみや痛みだけに違いない。彼らの想像力は枯渇しているのだ。彼らにあるのは妄想であって、想像力などではない。

    一輪の花の写真を見てその香を思い浮かべるのが想像だが、そのプロセスを飛ばして一機に枯れ果てた姿を思い描くのが妄想だ。何故、中間のプロセスが飛ぶのかというと、何を見ても自分の辛さや苦しさしか思い描けなくなってしまっているためだ。
 一枚の美しいヌード写真を見てほのかな香水の香や人肌のぬくもりを感じられる人は正常である。ヌード写真を見て綺麗だと感じるか卑猥と感じるかは人それぞれの感性だと思うが、このサイトに掲載されている写真を見て卑猥だと感じる人は少ないと信じている。

 ヌード写真が子供の教育に良くないという親が圧倒的に多いようだが、自分たちの子供のころを思い出してみてほしい。ヌード写真が非行の原因になるのなら日本の少年院は定員をオーバーしているに違いない。
 むしろ親として「こういうものもあるが、今のお前にはもっと大切なこと、しなければならないことが沢山ある」と教えるべきではないかと思っている。大人になれば飽きるほど眺められるのだから・・・隠せば隠すほど子供の好奇心を刺激することになることを大人は知るべきである。
 「何故今ヌード写真なのか?」という問いには「自分の想像力が健全に働いていることを確認するため」と答えよう。だから、ご覧になる方にも1枚1枚ゆっくりとご覧頂きたいと願っている。そしてあなたの想像力が語りかける内なる声に心を傾けてもらいたい。 
    time

・ Hello ・